うーまん社長の競馬予想

独自の考えから毎週の競馬予想をわかりやすく紹介します

NBA選手!!八村塁選手の経歴は?

f:id:BELIEVE38:20191105221837j:plain

今やCMやスポーツ番組で見ない日がない!?

NBA選手の八村塁選手の活躍はバスケ好き以外の人も見ることが多くのなったのではないですか。

そんな八村選手ですが、どんな経歴を持っているのでしょうか。

 

八村塁

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
 
 
ナビゲーションに移動検索に移動
 
 

八村 塁(はちむら るい, 1998年(平成10年)2月8日 - )は、日本の男子バスケットボール選手。富山県出身。身長203cm、体重104.3kg[5]、父親がベナン人、母親が日本人[6][7]。ポジションはパワーフォワード/スモールフォワード2019年のNBAドラフト一巡目でワシントン・ウィザーズより指名を受けた(全体9位)。

経歴[編集]

若齢期・高校[編集]

富山県で日本人の母・麻紀子とベナン人の父・ザカリの長男として生まれ、幼少時は陸上短距離野球をやっていた。投手と捕手を兼任しており、イチローに憧れていた。

なんと元からバスケをしていたわけではなく、他のスポーツをしていたのですね。

 

同級生から、バスケットボールを勧められ、入部した[8][9]

富山市立奥田中学校で第42回全国中学校バスケットボール大会準優勝[10]、大会ベスト5に選出される。1年生の時には2年先輩に馬場雄大がいた。

この富山県の奥田中学にはどんな秘密があるんだろう。馬場雄大の母校でもある。

宮城県私立明成高等学校に入学し、1年生で出場した第44回全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会では、決勝戦でゴール下を支配し、32得点を挙げ、明成高等学校の優勝に貢献した。

2年生の第45回大会に於いても2年連続優勝に貢献し、第44回から2大会連続でベスト5に選ばれている。また2015年夏に開催された第68回インターハイでは、決勝で愛知県桜丘高等学校を92-69で破り初優勝した[11]ウインターカップ2015の男子決勝では34得点、19リバウンドを記録し、明成が78-73で土浦日大に逆転勝利で大会三連覇を達成した[12]

カレッジリクルート時の評価データーは、以下の通りである。

氏名 出身 高校 / 大学 身長 体重 コミット日
Rui Hachimura
SF/PF
Sendai, Japan Meisei 6 ft 8 in (2.03 m) 210 lb (95 kg) 2015年11月20日 
Scout:4/5 stars   Rivals:3/5 stars   247Sports:3/5 stars    ESPNN/A   ESPNグレード: NR
リクルート順位: Scout: NR   Rivals: NR  247Sports: #136  ESPNNR
  • 注意: 多くの場合、Scout、Rivals、247Sports、ESPNの間で身長、体重が一致しない可能性がある。
  • これらの場合、平均をとっている。ESPNグレードは100ポイントスケールに基づいている。

出典:

カレッジ[編集]

ゴンザガ大学に進学を決めて渡米し、2016年11月5日に初出場を果たし、11分出場で、9得点、3リバウンドを記録した[13]。チームはWCCカンファレンスで優勝してNCAAトーナメントに進出。八村は1回戦で1分出場し、NCAAトーナメントに日本人として初めて出場した。さらに準々決勝・ゼイビア大戦の残り1分を切ったところで出場機会を与えられると3ポイントシュートで日本人初得点を決めた。ゴンザガ大はトーナメントで準優勝した。八村は28試合に出場、1試合平均4.6分で2.6得点1.4リバウンド[14]。2017-18シーズンは2試合のスターターを含む37試合に出場し、11.6得点、4.7リバウンドの記録を残した[15]。2018年3月22日、2年連続で進出したNCAAトーナメントでは、フロリダ州立大学に敗れ、スウィート16に終わった。2年連続のファイナル4進出とはならずゴンザガ大2年目のシーズンを終えた[16][17]

NBA[編集]

2019年4月15日、2019年のNBAドラフトにエントリーを表明し[18]、2019年6月20日ワシントン・ウィザーズから一巡目9位指名を受けた。「皆さんやりました。NBAです」とインタビューに答えた[19]。 日本人でNBAドラフト指名を受けたのは岡山恭崇以来で、1巡目指名は初の快挙となった[20]。 2019年6月22日、日本人初となるエア・ジョーダンと契約したことが発表された[21]

2019-2020シーズン

2019年10月23日、シーズン開幕戦でスターターとしてデビューし、14得点、10リバウンドのダブルダブルを記録したが、ルカ・ドンチッチクリスタプス・ポルジンギスを主力に置いたダラス・マーベリックスに100-108で破れた[22]

2019年10月26日、エースのブラッドリー・ビールが不振の中、19得点の活躍を見せオクラホマシティ・サンダーに97-85で勝利した[23]

代表経歴[編集]

 
2019年 FIBAワールドカップ日本代表
  • 2013年9月イランで行われたバスケットボールアジアU-16選手権に、日本代表として出場、チームの大黒柱として活躍し3位に入り[24]、1998年の田臥勇太世代以来、日本のジュニア代表を15年振りに世界選手権出場に導いた。
  • 2014年8月ドバイで行われたU-17世界選手権で日本代表としてアメリカの代表と対戦した。日本代表は高校生のベストメンバーを揃えて臨んだが、122対38の大敗を喫した中で、八村はチームの38点のうち25得点を奪う孤軍奮闘を見せ、試合後のインタビューで八村は「すごく楽しかったです。苦しくないです。楽しくて苦しいんです。」と語っている[25]。八村はこの世界選手権で大会得点王(平均22.6点)を獲得した[6]
  • 2015年バスケットボール男子日本代表候補に高校生選手としては唯一選ばれている[26][27]。代表の長谷川健志監督は「高校生離れしている」と語り、4年ぶりに代表候補に復帰した田臥も「能力がある。うらやましい」と語っている[28]
  • 2018年6月、韓国との強化試合で日本代表デビュー。アメリカがバスケシーズンとなるまでの間に出場したワールドカップ予選4試合で勝利に貢献し、予選突破に貢献した。
  • 2019年7月、ワールドカップ中国大会の日本代表に選出。大会直前の強化試合で世界ランク22位のドイツに勝利し、自身はチーム最多の31得点。W杯では対戦相手の徹底マークに苦しみ、アメリカ戦ではハリソン・バーンズのマークに苦しみ4得点に封じられたが、NBAブロック王のマイルス・ターナーのブロックをかわして決めたダンクは大会6日目のトップ3プレーに選出された[29]。1次リーグ終了後、八村は膝の不安と疲労のため日本チームを離脱した。

個人成績[編集]

略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック   TO  平均ターンオーバー  PPG  平均得点
 太字  キャリアハイ    リーグリーダー    優勝シーズン  NBA FINAL CHAMP.png

大学[編集]

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2016–17 ゴンザガ大学 28 0 4.6 .528 .286 .542 1.4 .1 .2 .1 2.6
2017–18 ゴンザガ大学 37 2 20.7 .568 .192 .795 4.7 .6 .5 .5 11.6
2018–19 ゴンザガ大学 37 37 30.2 .591 .417 .739 6.5 1.5 .9 .7 19.7
Career 102 39 19.7 .579 .316 .746 4.4 .8 .6 .5 12.1

人物[編集]

米国メディアの取材記事によれば、幼少期は野球少年で、イチローに憧れていた[30]。中学に入りどの部にも所属していなかった事から、友人からバスケットボールを勧められる。八村は、当時バスケットボールのルールも知らなかったために興味を持たず、断っていたが、あまりの熱心さに根負けして、バスケットボール部のテストを受ける。そこでコーチに絶賛され、バスケットボール部に転部した。

Sports Graphic Numberの取材で、好きな選手はミルウォーキー・バックスジャバリ・パーカーヤニス・アデトクンボナゲッツやニックスで活躍したカーメロ・アンソニー、そしてデンバー・ナゲッツエマニュエル・ムディエイと答えている[31]。 2019年7月22日、日清食品とスポンサー契約を結ぶ[32]。記者に「好きな味は?」と聞かれると「どん兵衛が好き。味がしっかりしていて、3分で作れるので大好きだった」と話す[33]

朝日新聞天声人語」2019年6月23日に掲載された逸話として、朝練を日課としていた八村が、体育館に行くと驚くほど上手いおじさんがおり、様々なテクニックを教えてくれた、それがユタ・ジャズカール・マローンと名コンビだったジョン・ストックトンだったと言う。

CM・広告[編集]

 

ウィキペデアより引用。

 

彼の経歴を見ると、バスケに興味があった訳ではなく、たまたま誘われてやったのが開花したということでしょうか。

どこにどんなチャンスが転がっているかわからない。みんなさん、チャンスは意外と自分近くにも転がっているかもしれませんよ。